ツインレイは目を見るとわかる、といいます。目は心の窓といいますが、その人の目をみると、その人の魂が見えます。ツインレイと見つめ合うと、どうなるのでしょう?トランス状態になるのは何故でしょう?
目を見ればツインレイと分かる?!
ツインレイは、唯一無二の自分と対を成す反対の性をもつ人です。
ツインレイと出会った本人同士は、ツインレイの目を見ると、目が離せなくなるようです。
特に男性は、ツインレイ女性に出会ったとたんその女性にロックオンして、目が離せなくなるようです。
女性は、なぜ、その男性がじっと自分を見つめるのか、不思議に思うかもしれません。
ツインレイと目つめあうと吸い込まれる?
ツインレイと見詰め合うと、吸い込まれるようだという人もいます。
ツインレイは同じ性質をもつ魂ですから、見詰め合うと、どちらがどちらかわからなくなり、時が止まったような感覚に襲われます。
多くの人は、生まれてから一度も、このような相手と出会ったことが無く、このような感覚になったことがないので、この不思議な感覚に戸惑うかもしれません。そして、「この人は、私のなんなのだろう?」と考えるかもしれません。
ツインレイと出会い覚醒すると目の色が変わる?
ツインレイと出会い、覚醒が進むことで、目の色が透き通り、目の色が変わってくるという人もいます。
目は心の窓ですから、ツインレイとであい、気づきが進み、覚醒していけばいくほど、目は美しい透き通った色に変化していくことがあるのだそうです。
ツインレイは目が似てる?
ツインレイは目が似ているとも言われています。
顔立ちは違うのに、目が似ていることもあるようです。相手の目を見つめると、どちらが自分で、どちらが相手かわからなくなることもあるかもしれません。
時間が止まったような、不思議な感覚に襲われる人もいるでしょう。
しかし、実際の顔立ちは違うのに、目が似ていると感じるのは、魂が、そう感じさせるのかもしれません。
人生の紆余曲折をへて、ツインレイに出会う人は、その人の魂のとてもピュアな部分で、ツインレイと出会います。
もし、魂が磨かれておらず、エゴや執着でいっぱいの状態であれば、ツインレイに出会っても、相手がツインレイだと気づけないかもしれません。
ツインレイは、見た目が好みのタイプなわけでもないかもしれませんし、どちらかというと、今までまったく興味を持たなかったタイプの人であることも有ります。
しかし、その目を見て、相手の魂を感じれば、自分と同じ色の魂を持つ人だと感じる事が出来る相手です。しかし、そういうことに気づくためには、ある程度、エゴを捨て覚醒している必要があるかもしれません。
ツインレイの目を見ているときには、実はツインレイを見ているのではなく、ツインレイの向こう側にある、「本当の世界」つまり「愛」を見ているのですが、人はそう感じません。
ツインレイが、唯一無二なのではなく、ツインレイとであった人の目が、相手の中の本質を感じる事が出来るようになったという事なのですが、ツインレイに出会った人は、ツインレイを特別だと感じます。
しかし、覚醒が進むにつれて、ツインレイが特別なのではなく、誰の目の奥にあるものもみんな同じ、真実の世界だとわかります。
ツインレイの目を見るとなぜトランス状態になるの?
ツインレイの目をみつめると、トランス状態になるという人もいます。
ツインレイの目の向こう側には、真実の愛の世界がありますが、ツインレイの目を見ることで、それを感じるため、トランス状態になるのではないかと筆者は考えます。
わたしたちが体験しているこの世界は実は幻影ですが、トランス状態とは幻影から目覚めた状態です。たいていは、トランス状態が幻影で、目に見えるこの世界が真実だと、人は考えます。しかし、実際は、逆です。
ツインレイと出会うことで、真実の愛の世界・・・つまり、本当の世界を垣間見てしまいます。その時、人は、トランス状態になったと感じます。
ツインレイに出会わなくても、トランス状態になる人はいます。また、トランス状態の意識のまま、生きる人もいます。トランス状態と、日常の意識を、自在にいったりきたり出来る人も居ます。
ツインレイとの出会いは「この世」という幻影から目覚める最後の仕上げ
ツインレイと出会う前に、大きな絶望を体験する人もいます。この世のすべてに絶望することで、自分のもっているエゴを手放すことになりますが、その瞬間、ツインレイと繋がり、ツインレイと再開を果たします。
その後、ツインレイとチェイサーとランナーの関係に別れて、逃げては追いかけての繰り返しをするカップルもいますが、ランナーは実は相手から逃げているのではなく、自分から逃げているのです。チェイサーは執着を手放すことを拒むため、ランナーは逃げていきます。
エゴや執着を一つすてるたび、一つツインレイに近づくことが出来ます。でもそれは、一つ、また一つと、この世に絶望していく事と同じです。
ツインレイは、エゴを手放すことで関係を続けていける相手です。人間はエゴがあるから、輪廻転生を繰り返します。
しかし、神様はその人にエゴを手放すように仕向けます。そのために、その人から大切なものを奪うこともあります。残酷ですが、これは神様の愛です。人間の本当の幸せは、エゴを捨て、執着を捨て、純粋な魂になることだから、神様は、人間にエゴを捨てさせ、本当の意味で幸せになってもらいたいために、人間から目に見える幸せを奪うのです。
このことの意味が分からない人は、ツインレイに出会わないほうが幸せです。幻影から目覚めたくない人は、ずっと夢の世界を生きているほうが、良いと思います。
お釈迦様は、人間の欲が人間の苦しみを生み出していると気づきました。だから、煩悩を捨てるようにと人々に教えを説きました。煩悩とは、エゴへの執着の心の事です。エゴを捨てることでしか、救いは無いのだと、お釈迦様はかなり前に気づいていました。
イエスキリストも、「許しなさい」「敵を愛せ」といいました。これも、こだわりをすて、自分のエゴをすてなさいという教えです。イエスキリストも、エゴを捨てる事でしか、救いは無く、この世は地獄だと気づいていたのです。
目に見えるすべてに失望し、絶望した先に、天国があります。ですから「貧しきもの、哀しきものは幸いです。天の国に一番近いから」と、キリストは言いました。聖書のこの言葉に対して、さまざまな解釈がなされていると思いますが、簡単に言えば、本当の幸せは、悲しみと絶望の向こう側にあるということです。
本当の幸せは、悲しみの向こう側にあります。この世のすべてに絶望し、この世のすべてが夢幻だと知り、最後に残るものに気づいた人だけが、涅槃の世界に行けます。ツインレイはそのことを教えてくれます。
ツインレイと出会い、統合を果たした人であれば、この言葉の意味が分かると思います。
ツインレイが出会うのは「涅槃」の世界
ツインレイが出会うのは「涅槃」の世界です。ツインレイとは涅槃で出会い、そして、出会ってからは、自分のなかに残っているエゴ・執着・我欲を、一つ残らず、全部捨てるように仕向けられます。
ツインレイは、エゴを捨てないと、一緒にいられない相手であり、そして、エゴを捨ててまで一緒にいたいと思わせるような、純粋な愛で繋がっている相手です。解脱のために出会っている相手ともいえると思います。
ツインレイとの出会いを、ロマンチックなものととらえている方も大勢いらっしゃるかもしれません。しかし、ツインレイとの出会いは、実はそのような楽しく明るい関係では無いと思います。
ツインレイとは、この世のすべてに絶望し、人間の欲望に絶望し、この世が地獄である事を知り、何もかもを捨て、この世界が幻影である事に気づくため、最後の仕上げのために出会う相手です。
最後には、ツインレイという概念そのものも、手放す必要が有ります。
ツインレイを信じることも、執着になるからです。
恋愛や、仕事や、お金もうけや、レジャーに楽しみを見出し、前向きにポジティブに生きることに満足している人は、まだ、涅槃には行けません。
そういう人は、しばらくの間は、人間界を楽しむべきです。
しかし、この世でやりたかったことを全部やりつくし、または、やりたかったことが何ひとつ出来ず、結局すべての夢、欲望、希望、良いことも悪い事も、めぐりめぐって過ぎ去る幻影なのだな・・・と気づき、心から絶望したときに、ツインレイと出会います。(もしかすると、そうでないツインレイの方たちもいるかもしれませんが・・・)
ツインレイが、お互いの人生で体験してきた事は、もしかすると間逆かもしれませんが、でも、相手の目を見れば、たどりつく先は、同じであった事が、分かります。
最後には「人はみんな同じ」と思います。それが、ツインレイと出会った人の、行きつく先です。
ツインレイと出会うと、すべてを捨てさせられます。それは、死とおなじ事です。その先にしか、桃源郷は無いのだとツインレイは教えてくれます。
ツインレイの目の奥には涅槃の世界があります。涅槃の世界は死後の世界であり、トランスの世界であり、そこにたどりつくには、すべてを捨てなければいけません。
ツインレイの目を見た人は、死後の涅槃の世界、天国の世界を垣間見るのです。そして、天国にたどりつくために、目に見えるすべてを捨てていきます。
コメントを残す