ツインレイは永遠の愛?愛情表現やツインレイの愛の真実とは?

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ツインレイと愛し合うとは一体どういうことでしょう?ツインレイの愛とはどういうものでしょう?そして、ツインレイと統合するとはどういうことでしょうか?ツインレイの愛の真実についてまとめました。

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ツインレイは無償の愛を教えてくれる人

ツインレイと出会った男女は、その愛情表現の仕方に戸惑うこともあるようです。それは、今までの恋愛で自分が体験してきた愛情表現と違う場合があるからです。

たとえば普通の男性であれば、愛する女性にこういうことをするであろうと考えている事を、ツインレイ男性はやらなかったりします。

そのため、ツインレイの女性は「自分は愛されていないのではないか?」と考える事もあるようです。

しかし、このような、「愛情表現」の食い違いは、お互いを無償の愛に気づかせるための、試練である場合もあります。

私たちは、相手に愛情を伝えるための、さまざまな方法を学習してきました。また、女性ならこうすべき、こうあるべき、男性ならこうすべき、こうあるべきという、有るべき姿を社会的に学習してきました。

しかし、愛情表現の方法というものは、それぞれの文化圏により、違うものであったりします。育った家庭によって違う場合もあります。社会的な慣習、常識というものは、実はその共同体の外側ではまったく意味を成さないものであることが多いです。

ツインレイは、そのような、慣習や常識を超えた「魂」の世界で出会い、愛し合う相手です。そのため、信じていた愛情表現の仕方や常識を乗り越えて、相手を愛さなければいけない場合もあります。

お互いの常識や慣習を超えて、「無償の愛」を知るための相手とも言えるかもしれません。

ツインレイの専門家、ライ・カイア・マーサさんのブログ「ツインレイは真実の男女愛と豊かさを開く扉」というタイトルにあるように、ツインレイの愛は無償の愛であると言われています。

ツインレイとであった女性の中には、自分の子宮の中に相手が入っている感覚になるという人もいるようです。

ツインレイ男性にとって、ツインレイ女性は自分を幸せにしてくれる、唯一の女神に見えるそうです。

無償の愛を受け入れ、無償の愛を与える事で、お互いが神様になる関係がツインレイです。

無償の愛とは一体何なの?

無償の愛とは、一体なんでしょうか? 無償とは、「見返りを求めない事」です。無償の奉仕という言葉があるように、何ももらえなくても、したいからする、という行為が「無償」です。

無償の愛とは、たとえ、相手が自分を愛してくれなくても、相手がこの世にいなくても、相手に会えなくても、相手といる事で何のメリットも無くても、それでも相手を愛するという事です。

愛したいから愛する。

ただ愛しているから愛する。というとてもシンプルなものです。

通常、親は、自分の子供を「無償の愛」で愛するといいます。中には、それが出来ない親もいますが、通常は、自分の子どもは生きているだけで、可愛いものだと思います。

その、純粋な気持ちが「無償の愛」です。

ツインレイの相手は、お付き合いすると都合の悪い相手であることがあります。年齢差が親子ほど違ったり、社会的地位や住む世界が違ったり、価値感が違ったり、結婚していたり・・・・その相手と付き合うことで、自分が損をしたり、恥ずかしい思いをしたり、嫌な思いをしたり、大切なものを捨てなければいけない相手であることもあります。

結婚している相手がツインレイの場合は、相手と結ばれる事をあきらめなければいけない場合もあります。 一緒にいられない、自分が損をする、自分が嫌な思いをする・・そんな相手なのに、なぜか相手のことを忘れられず、愛さずにはいられないのが、ツインレイです。

「無償の愛」と言葉で言うのは易しいですが、実際に体現するのは、とても大変なことです。

ツインレイと出会ったら、すぐに一緒になれると考えている人もいるかもしれませんし、中には、そういう人も居るかもしれませんが、ツインレイとすぐに一緒になれる人は、この世のすべてに執着を持たず、既に涅槃の世界を生きている人かもしれません。善悪を超えた、愛の世界に生きている人かもしれません。

そうでないならば、その相手は、ツインフレイムかもしれません。

ツインフレイムに出会って霊能力が目覚める人もいます。霊能力があることは、確かに凄いことですが、しかし、霊能力も、実はこの世のものであり「幻影」です。エネルギーも幻影です。

ツインレイは、この世のすべてが、エゴや執着から生まれた地獄であり、幻影であると気づかせるために出会う相手ですから、ツインレイに出会ったら、最終的に、霊能力という幻影への執着も、捨てなければいけなくなるかもしれません。

ツインレイに出会って永遠の愛を感じたという人もいるでしょう。また、ツインレイの存在に神秘を感じる人も居るでしょう。

出会って間もない頃は、ツインレイの愛に永遠を感じ、恍惚の状態が続きますが、しかし、やがて、ツインレイに出会ったことで、自分の大切にしていたものをすべて捨てなければいけなくなることに気づきます。

仕事が生きがいだった人は仕事を、友達が大切だった人は友達を、お金が大好きだった人はお金を・・・これを捨てたらもはや生きる意味が無い、自分が自分でなくなってしまうと思うまで、大切にしていたものを捨てさせられて、丸裸にされるかもしれません。

人によって大切なものは違うので、実際に起きる出来事は、人それぞれ違うと思います。でも、本質的には同じです。たいてい、「愛のために、大切なものをすてる」という出来事がおきます。
その後に残ったのが「無償の愛」です。

人は死ねば、すべてを失います。地位も名誉も、健康も、お金も、お気に入りのアイテムも、あの世には持っていけません。天国にもっていけるのは、愛だけです。最後に残るのは、愛です。

そんなシンプルなことを教えてくれるのが、ツインレイだと思います。

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最後に残るのは愛だけ・・・

愛とは何でしょう?愛でないものとは何でしょう?

愛は目に見えません。わたしたちは、普段、たくさんのものに囲まれて生きていますが、それら全部は、目に見えるものです。

家や建物、会社、身の回りの小物や洋服、お金、食べ物、人間の体は、全部、目に見えるものです。社会的地位や、名誉、人とのつながりも、可視化できますから、目に見えるものです。

この世は、目に見えるもので出来ています。

わたしたちは、目に見えるものを追い求め、目に見える幸せを手に入れることが幸せだと教えられ、実際にそう考えて生きています。そして、ある程度までは、それで充分楽しく生きる事ができます。

仕事を頑張って成功して、家を立てて、綺麗な奥さんをもらって、可愛い子供がいて、性格の良い犬を飼って、毎日美味しいものを食べて、そのうち子供が結婚して孫が生まれて、長生きして・・・それが成功で、幸せだと信じて私たちは生きています。

もちろん、生きていたら、嫌な事や不幸なこともありますが、辛いときも、明るく前向きに、ポジティブにがんばって、現世的な幸せをつかむことが、人間にとって幸せな事だと信じてみんな生きています。資本主義の世の中になってから、とくに、そう考える人が増えたのではないかと思います。

でも、何度も転生を繰り返すうちに、人は、そのような目に見える幸せには、実は意味が無いと気づき始めます。

この世のものは、良い事も悪い事も、そのときだけのこと。すべては、めぐりめぐって、振り出しに戻るだけだと、転生のある時点で、気づくのです。

この世は諸行無常の世界です。このめぐりめぐる世界が輪廻の世界です。

良いことがあったら、悪いことがあり、成功してもその成功はつかの間です。

どんなに賢い人も、年をとればよぼよぼになり、死にます。どんな美人も、いつか骨になります。

私たちが生きている意味とはなんなのだろう?と思ってしまいますよね・・・。

でも、何度も転生しながら、魂として長く生きているうちに、本当に意味があるのは、それら目に見えるものではなく、目に見えるモノの向こう側にある「愛」であることに、少しずつ、気づき始めます。

ツインレイは、輪廻の最後に出会う相手といわれています。ツインレイの相手と出会ったら、この世のすべての出来事・・・つまり、幸せや不幸、成功や失敗、良いとき悪いときは、全部、「愛」を感じるために、自分たちが巻き起こしていたドラマだったのだと、わかります。

良いことも悪いことも、すべては愛で、「愛」が絶対であることに、気づくことで、欲望のとりこに輪廻する地獄のような幻影世界から抜け出せるのです。

ツインレイとの出会いは、一般的に考えられているような、美しい理想の恋愛ではないかもしれません。

でも、本人たちは、それにより、覚醒していきます。そして、最終的に、本当の幸せは自分の中にある愛でしかないと、分かります。

天国は見える人にしか見えませんが、ツインレイは、相手の向こう側に天国を見るのです。

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