ツインレイの光の存在と闇の存在とは?男性の闇と執着と試練とは?

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ツインレイのレイは「光」という意味を持っています。

ツインレイは「光の存在」と言っていいものかもしれません。

そんな光の存在でたるツインレイを、闇に引きずり降ろすために、闇の存在が現れることもあると言われています。

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ツインレイは光の存在?

ツインレイが光の存在だというのは、一体どういう意味でしょうか?

私たちはもともと光の存在なのですが、ツインレイと出会うことで私たちは、光の存在であることを思い出し、光に戻ろうとしているのではないでしょうか?

光は波動であると言われています。最近では量子力学の研究が進んできて、私たちは量子でできていると考えられているようです。

また量子の振る舞いは、今までの物理の常識を覆すような、奇想天外な動きをするものだと言われています。

ツインレイと出会うと量子レベル、つまり光のレベルで、ツインレイの相手と繋がっていることを感じることができると言われています。

たとえば、片方が疲れている時にはもう片方も疲れていたり、片方が忙しい時にはもう片方も忙しかったり、今までの常識では考えられないようなシンクロが多発します。

最初の頃は驚くばかりでしたが次第に慣れてくると、それが当たり前のように感じるようになります。

なぜこのようなシンクロが起きるのかを、良く考えてみると、私たちが量子、つまり光で出来ているということが腑に落ちて、納得できるようになると思うのです。

ツインレイと出会うことで、私たちは光でできている、つまり量子でできているということを肌で感じられるような仕組みになっているのかもしれません。

ツインレイカップルが結ばれて子供産んだ場合、その子供たちは光の子、光の子供とも呼べるような、純粋な子供達なのかもしれません。

波動の高い・低いと、光と闇は別のもの

私たちは最初「光」でしたが、 3次元世界に肉体を持って生まれました。

この時から影、つまり、闇が生まれたのだとおもいます。

私たちが光に戻るというのは、 私たちが現実であり真実であると思っているこの物質世界が、自分自身の作り上げた幻影であることに気付くことではないでしょうか。

私たちは最初から光でしたが、 しかし自分自身の強い念によって、三次元の物質世界、つまり肉体を作り上げてしまったのだと思います。

そのことに気づき、自分たちの本質が光であること思い出すために、ツインレイと出会うのではないでしょうか。

一般的に、ツインレイの女性側の方が精神性が高く、男性の方が精神性が低いことが多いと言われています。

それは女性の方が本来精神性が高く生まれついていることと、 男性は現実世界を強く生きる力を持っているため、お互いに役割分担をしているためだと思います。

精神性の高い方を「波動が高い」と表現したり、精神性の低い方を「波動が低い」と表現する人もいるようです。

精神性の高いほうを「光」とよび、精神性の低いほうを「闇」と考える人もいるようです。

しかし、波動の高い低いと、闇と光は、別のものだと筆者は考えます。

波動の高い低いは、繊細かそうでないかの違いであり、光と闇はより本質に近いかそうでないかの違いだとおもいます。

波動の高い低いは、どれくらい細かい情報が含まれているか、読み取れるか、だとおもいます。

それに対して、光は良く見えて良く理解できること、闇はわからない・理解できない・見えないこと、だと思うのです。

波動の高い低いと、闇と光は、似ていますが、違うものではないかと思うのです。

ツインレイの波動の高い方と波動の低い方が融合した時、ツインレイの体は光に近づくのだと思います。なぜなら、陰と陽が統合するからです。

新しいものの創造や気づきは、陰と陽の融合によって生まれると思うのです。

ツインレイは創造のために出会っている

男性側に闇があると表現する人もいるようです。

女性の方が精神性が高くスピリチュアルに傾倒している場合、特に相手側の男性は、物質的世界に足を下ろして生きていることが多いと思います。

なぜそのような二人が出会うかというと、新しい概念や、新しいものごと、または子供を生み出すためだと思います。

それは今までに無い仕事であったり、社会システムかもしれません。

また、子供を産む場合は、その子供が新しい社会をつくっていくことになるでしょう。

ツインレイというのは、それぞれが別の体験をして出会っています。

だからこそ、意味があるのだと思います。

そのことを、ツインレイは「陰と陽の統合のために出会っている相手」であり、「陰と陽を統合した先に光の存在に戻れる」と表現することもできるのだと思います。

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闇の存在とは?

ツインレイが統合に向かう際に、闇の存在が現れ、邪魔をするという人もいます。

しかし闇の存在というのは、実在しないものだと筆者は考えます。

自分自身の心の中にある迷いや恐れが、闇の存在の姿を借りて、この世界に現れたものだと、筆者は思うのです。

闇に見える存在というのは、実は自分自身の中にある、恐れや不安迷いの気持ちを体現してくれています。

闇の存在は、自分自身を不安に陥れるようなことを言ってくるかもしれませんし、これからしようとすることを邪魔してくるかもしれません。

それ自体は嫌なことなのですが、このような相手と出会うことで、自分自身の中に曖昧なままにしてあった恐れの気持ちや、頑なな気持ち、執着などが炙り出されることになるのです。

自分自身で自分の中にある不純なものに気づいた時、その部分は浄化されます。

浄化が起こった後、闇の存在と思っていたその相手が、目の前から消えることもあるでしょう。

またはその相手のことが、全く気にならなくなるかもしれません。

そして、その後、自分自身の現実や、ツインレイとの関係が、次のステージに進むかもしれません。

これはツインレイとの出来事だけに限らず、この世界で起きているすべてのことは、このような仕組みで起きているのだと思います。

これを試練だと感じる人もいるかもしれませんが、このプロセスによって、私たちは自分が何者であるか思い出す旅をしていると思うのです。

人はそれぞれ違った個性をもつ存在だと思います。

ツインレイは自分と同じ個性を持ったかたわれですから、当然のことながら感覚も合い、自分自身にとって、とても波動が高いと感じるでしょう。

しかし、自分と波長が合わない人は、一緒にいるだけで疲れてしまいます。

そのような波長の合わない相手のことは、自分から見ると闇の存在に感じられると思うのです。

そしてもしかすると、相手から見ても、自分は闇の存在に見えているかもしれません。

お互いの間に、「差異」があるだけなのに、善悪で判断をしようとする癖がついてしまっているため、「闇と光」に分けてしまうのかもしれません。

この世界に、本来は高いも低いもないと思うのです。 ただ違いがあるだけだとおもいます。

自分の側から見て、自分と価値観の違う相手のことは、闇に見えるということではないでしょうか。

闇の存在とは、自分が自分らしくなること、つまり自分の色の光に戻ることを阻害する人だと思います。

しかし迷いがなくなれば、闇の存在には邪魔されず、自分自身の光を放ちながら生きていけるのではないでしょうか。

そして、闇だと思っていた存在も、実はその人らしく生きていただけであり、悪でもなければ善でもないとわかると思います。

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