人間にはみんな自由意志がある!自由意志の法則と責任とカルマの法則。

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人には自由意志があるとか、いや、自由意志なんてない、なんていう人も、中にはいますよね。
自由意志とはいったい、何のことなのでしょう?

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自由意志とは人間だけに与えられた特権

一般的には自由意志とは、「他から束縛されず自らの責任において決定する意思。言い換えれば、行為者の自由な意思のこと。」
(wikipediaより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97)
をさします。

では、スピリチャリズムにおいての「自由意志」とは、一体どういうものなのでしょうか?

「シルバーバーチの法則」のなかに「人間だけに“自由意志”が与えられている」
という記述があります。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought2/sp-thought2-2/sp-thought2-2-7.htm

人間や動物や植物など、すべての存在は神の摂理に支配されていますが、人間だけが神の摂理に逆らうことのできる「自由意志」が与えられており、人間と動物の違いは「自由意志」があるかないかである、とシルバーバーチは説いています。

人間も動物も植物も、生まれて、生きて、寿命がきたら死んでしまいますね。また、人を傷つければ、自分も傷つきます。人にやったことは、自分に返ってきます。このような、絶対的な「仕組み」が神の摂理です。
万物は、この「神の摂理」から、逃れることはできませんし、動物や植物は、神の摂理に従って生きるしかありません。

しかし、人間は神の摂理に逆らうこともできる、そういう特権を与えられているのです。

そのため人間は神の摂理に反することでも、自らの自由意志で行うことができる、と、シルバーバーチは説くのです。

自由意志には責任が伴う

動植物と違って、自分の意思で良いことも悪いこともできるのが、人間の特徴です。ですから、好きなことを好きなようにできます。

そして、当然のことながら、良いことを行えば良い結果がでますし、悪いことを行えば悪い結果になり、その「結果」は、必ずいつか、自分自身にふりかかってきます。

時には何が良いのか悪いのかわからないけれど、とりあえず何かしなくてはいけない・・・そんな時だってありますし、悪いことと知らず、道にそれたことをしてしまって、その結果に、自分自身が苦しむこともあります。

こんなことなら、自由意志なんて、なければよかったのに・・・・犬や猫は、悩みがなくて楽しそうでうらやましいな・・・そう思う時だってあるでしょう。

人間に自由意志がなければ、間違ったこともしないでしょうし、必要以上の喜びや苦しみを受けることもないのですから。

なぜ人間だけに自由意志が与えられているのか?

ではなぜ人間だけが、こんな厄介な「自由意志」なんてものを、与えられてしまったのでしょうか?

人間はロボットじゃない
もしも人間が、動物や植物と同じように、神の摂理に従うだけの存在であったなら、人間は自分の頭で考えることをせず、ただ目の前の現実に従うだけの存在になってしまいます。

それではロボットと同じ、苦しみもないかもしれないが、それ以上成長することもできません。

人生はトライアンドエラー
人間が何かをして、その結果、悪いことが起きた場合は、神の摂理に背いた「間違ったこと」をしたからそうなったのです。

また、何が間違っていたのか自分でわからないうちは、人は、何度も何度も、同じ間違いを繰り返し、その結果に苦しみます。

しかし、何度も同じことを繰り返すうちに、何がどう間違っていたのか、どうすればうまくいくのか、少しずつですが、気づいていくものです。

生きることは、トライアンドエラー。失敗を繰り返しながら、少しずつ経験値を積み、人間は、一歩一歩、精神的に成長していく生き物なのです。

人は体当たりで学び成長するために生まれてきた
人間は犬や猫と違って、自由意思をもち、自分の頭で考え行動し、体を張って神の摂理を体験するから、成長するのだ、とシルバーバーチは説きます。

なんでもそうですが、頭で理解しただけでは本当に理解したとは言えませんね?人間は、神の摂理をこの世で実践し、実践を通じながら学び、経験値を積み、成長していくために、志願して地球に生まれてきているのです。

学ぶために人には自由意志が与えられた
自由意志がなければ、自分から学ぶことはできません。
だから人間には自由意志が与えられていて、そのために、楽しいこともあるし、嫌な目にも合うのですね。

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運命と宿命と自由意志

しかし、人間にいくら自由意志があると言っても、神の摂理を超えたことはできません。何でもかんでも、自由になるわけではないのです。

運命と宿命
これは運命と宿命の違いとも言えます。

• 宿命:生まれつき定められたその人の変えられない運
• 運命:その人の自由意志や努力で変えていける運

人間には受け入れるしかない、どうしても変えられない「宿命」があります。
しかし、その「宿命」の範囲内で、自分自身で意思決定を行っても良いこともあるのです。

宿命は変えられないが運命は努力によって変えられる
同じような条件で生まれてきても、努力をして幸せになる人もいれば、やさぐれてしまってどんどん不幸になる人もいるでしょう。
それは、その人が、みずからの自由意志や努力で変えていける範囲内、つまり「運命」の範囲内でどれだけ努力したかによるのです。

人間に許された範囲内で自由意志に従うのが人間
人間は神様に許された範囲内で、自分自身の自由意思に従い判断・決定・行動をすることが許されており、その結果をうけて学び成長するものらしいのです。

自由意志と責任とカルマの法則

人間には、ある程度の自由意志が認められていますが、自由には責任が伴います。
自由意志を持つということは、その分の責任を受け持つ、ということでもあります。

責任をとるということ
人間は、人に辛く当たる自由もありますが、その結果として、辛く当たった相手からは憎まれ今度は自分が辛くあたられます。
人は、自分がやったことの結果として、それ相応の報いを受けます。
それが、「責任を取る」ということです。

とれなかった責任は来世に持ち越されるカルマの法則
スピリチャルな世界では、死後も人間の魂は消滅せず、天界に戻ったり、輪廻転生を繰り返すと考えられています。

もし、ある人生で人を傷つけて、その報いをその人生でとることができなかったら、また生まれ変わってその報いを受けなければいけません。傷つけた相手に対して、それ相応の責任を取るまでは、何度でも生まれ変わる、というのです。

それが、カルマの法則です。

人は死ねば終わり、と考えれば、生きている間は好き放題、やったもの勝ちと考えるかもしれませんが、死後も魂は不滅で、今生でやったことの責任を取るまでは何度も生まれ変わるのだ、と思えば、おいそれと、人を傷つけることなどできなくなるでしょう。

カルマの法則はよくできた学習プログラム
カルマの法則によれば、かつて相手にしたことは、いつか自分に返ってきます。人を傷つけたら、いつか、自分が傷つけられます。
人の痛みがわからないばかりに、平気で人を傷つけた人であっても、いつの日か自分自身が人から同じように傷つけられる経験をすれば、傷つけられた人がどんなに辛い思いをしたのか、身を以て知るでしょう。
そのような経験をして初めて、人は人の痛みを知り、なぜそれがいけないことなのか、腹の底から理解するでしょう。

このように実体験を持って、身にしみて分かった人は、もう二度と同じ過ちを繰り返したいとは思わなくなるでしょう。

人間はこのようにして、一つ一つのことを、身を持って学び、少しずつ成長しているのです。
カルマの法則は、宇宙の用意してくれた、とても効率的な学習システムなのです。

自由意志に従うことで私たちは成長してゆく
人間には自由意志があります。

自由意志のおかげで、わたしたちは人生を自由に楽しむこともできますが、しかし自分の行動や思考の責任は自分で取らなくてはいけません。

このように自由意志による行動の結果を通じて、人は学び、日々成長を続けているらしいのです。

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